日記9/5 オートマティズムもどき

文章の練習のために日記を始めることにした。かねてから自分は長文を書くのが苦手だと思っていたが、それは語彙とか表現を知らないのではなく自分の思考と覚えた言葉がリンクしてないからなのではないかと思い、ならば思考と言語の間の回路を構築するためにまずは思っていることをなんでも書いていこうという次第でこんな文章を書き始めた。定期的にネットで是非を問われる読書感想文も自分は苦手で、自分の中にある感情を喜怒哀楽のような既成の概念に回収するのを嫌がるあまり全く書けなかった。それを克服しようと独自の表現形式を身に着けるため、本を読んだりしているが今度は表現の引き出しが増えるだけでそれに対応する感情を自分の中から見つけ出す事ができない。こんな感じで思いついたことを論理とかをある程度無視してだらだら書いていくことをオートマティズムと言うらしい。今のところなかなかうまくいっている。さあもう少し書こう。いま400字ぐらいだから1000字ぐらいは書くか。ネットは統合失調症の人の脳内に似ていると誰かが言ってた。その通りだと思う。まとめサイトを見まくっていた中学生の頃、何かを書いたり言ったりするたびに頭の中で2ch特有の糞みたいなツッコミが入るようになってビビったが、最近twiterを見ていると似たような感覚を覚える。twitterはある意味まとめより悪質かもしれない。リツイートやいいねをするだけで他人の意見にタダ乗りできる。タイムラインに流れるツイートを適当に切り刻んで再構成するだけでクリティカルな物言いをでっち上げることができる。twitterの議論はレッテル貼りに基づく具体性のない揚げ足の取り合いであり、こっちで長文を(こんなgdgdの内容でも)書いた方が余程生産性が高いと思う。別に自立していれば無条件に偉いとは思わないが、自分で物を考えられないのは本当にヤバいと思うようになった。なんせ今ではtwitterを見てなくても他人のツイートが目に浮かぶし、状況に応じてそれらを引っ張り出したりしまったりする作業が頭の中で思考と置き換わってしまっている。最悪だ。この状況を打開するためには自分の言葉を徐々に造っていくしかない。地道な作業だろうがやらねばならない。何も書かないまま自意識と全能感だけを肥大させて行くのだけは避けたいと思う。ある程度言葉が自分のものになる感触を得たら今度はもっとクリアな文を書いてみたい。取り合えずそれを目標にこのブログを続けていく。